神田香織が挑戦 新作「チェルノブイリの祈り」
2007年度(平成19年)文化庁主催芸術祭参加作品

2015年ノーベル文学賞 受賞作品 特集記事

「チェルノブイリの祈り」未来の物語
孤独な人間の声
スベトラーナ・アレクシエービッチ
松本 妙子 訳
 
1986年の大惨事から十数年間、人々が黙していたことは何か。幾多の文献や映像が見落としていたチェルノブイリの事実とは何か。巨大事故に遭遇した被災者達の衝撃、悲しみ、思索の過程を鮮やかに描き出した。人間のまなざしがとらえた戦慄、人間の内面にあふれる悲哀、チェルノブイリの記憶

 作品概要 制作概要  アンケート 
 照明仕込み図 舞台仕込み図 チラシ 

信濃毎日 2003.10.9(紙面クリック)
ハイライトシーです。(全編1時間20分)
「3、11後、上演にあたって」2012.10
 講談師になりたての頃サイパンの戦跡を見たのがきっかけで、戦争にのめり込み、東電福島第一原発事故が起きる26年前から「はだしのゲン」を、そして9年前から「チェルノブイリの祈り」を語ってきました。ちょうど「はだしのゲン」の講談化に取りかかった年、1986年にチェルノブイリの原発事故が発生し「軍事利用」目的の原発も「平和利用」目的の原発も、ひとたび制御できなくなれば同じだと世界中が「核」の恐怖を再認識させられました。チェルノブイリと郷里福島が二重写しになり、胸がつまりそうになったことを今でも覚えています。
 原発事故を防ぐにはチェルノブイリ事故から学ぶこと。我々のような目にあってほしくないというチェルノブイリの人々の祈りを、また、地震国日本で未然に事故を防ぎたいいう私もふくめ大勢の人々の祈りを、私はこの作品を通じて懸命に訴えてきたつもりでした。
なのに古里がこのような無惨なことに…。いまだに悔しくてたまりません。
 昨年の事故後、自分の無力さに、一時はこの作品を封印しようと思いました。しかし上演を切望する声に背中を押され、チェルノブイリ事故からちょうど25年目の2011年4月26日、福島原発事故後はじめて再演。会場一杯のお客様はものすごい熱気で怒りと祈りを込めて語る私に熱い拍手を送ってくれた。このとき、落ち込んでいる場合ではない、2度目の事故を絶対起こさせないためにも私にできることは語り続けることしかないと決意。一刻もはやく福島県民が心身の安定を取り戻し、こどもたちが安全な自然の中で成長する事ができることを祈りつつ、福島に生まれ育ったのを運命ととらえ「チェルノブイリの祈り」を今後も語り続けます。チェルノブイリの祈りはフクシマの祈りでもあるのですから。

上演にあたり(初演 パンフより)

 私は福島県いわき市に生まれ育ち、今も月のうち半分ぐらいは実家で過ごしております。車で一時間も走れば「原発銀座」と言われる福島第1,第2原子力発電所があり10基の原発が稼働しています。9月には一連の原発事故隠蔽の事実が発覚しましたが、これらはチェルノブイリの事故後からだそうです。「原発は安全」なのだから「事故」は隠すのが当たり前というへ理屈がまかり通っていたのです。何ということでしょう。チェルノブイリの事故は他国の過去の事故として切り離すことが出来ない現実が私のすぐ身近にあるのです。昨年3月「チェルノブイリの子供達を支援する千葉の会」に招かれましたおりに、主催者の方から頂いた一冊の本が「チェルノブイリの祈り」でした。冒頭の「孤独な人間の声」の若い夫婦に降りかかった想像を絶する体験。これが現実なのだと自分に納得させるのに何度も読み返す必要がありました。1年後に講談で語りたいと決意し、出版社に問い合わせ、翻訳者に手紙を書く。彼女が原作者にメールを書いてくださり快諾を得ることができたのは今年の5月のことでした。果たして科学の発展は人間を幸福にしているのでしょうか?科学の進歩に人間はついていけるのでしょうか?オーバーかも知れませんが、生存をかけて私は「チェルノブイリの祈り」を語ります。

チェルノブイリの祈りを全国に(2005.5 はんげんぱつ新聞 寄稿)
神田香織
 来年、2006年はチェルノブイリ事故から20年の節目にあたります。この年、仲間を募って立体講談「チェルノブイリの祈り」全国100ヵ所縦断公演を考えており、その前に今年4月25日-27日の三日間、大阪、名古屋、東京で自主公演を開催しました。折しも25日は尼崎であのJR西日本の脱線事故があり、大企業の利益優先、人命軽視のつけが100名以上の犠牲者を出すという大惨事を招いてしまいました。ご遺族の心中を察すると言葉もありません。ほんとに悔しいです。
 そして、巨大事故の中でも最悪なのが原発事故。原発事故がどのような災禍をもたらすのか、愛しあう人たちをどれほど無惨にひきさくのか、チェルノブイリ事故はそのことをいやというほど教えてくれています。
 チェルノブイリ事故について私たちは、人間のもつ「想像力」と「勇気」に訴える「新しい言葉」をさがし「語り」という切り口を持って舞台作品として作り上げました。ささやかな幸福を満喫していた「原発推進派」のエリート消防士夫婦。彼らがなぜ「一回きりの人生」を無残に破壊されなければならなかったのか?福島原発の近くに生まれ育った私にとって決して人ごとではありませんでした。
 「チェルノブイリの祈り」は初演から30回以上の公演を通じて、多くの方々から賛辞と共感をいただいております。広く多くの人に観てもらうことで現実から目をそむけることなく「いま、そこにある危機」を回避し、後世へ未来をつなげていくのがこの作品のテーマです。スマトラ沖の巨大津波といい、国内で頻発する地震といい、今回の事故といい、災害や事故は起きてから悔やんでもおそい!
 同じ思いの各地のみなさん、ぜひ、いっしょに来年の「チェルノブイリの祈り」
100ヵ所公演に取り組んで下さい。また、原作者スベトラーナ・アレクシエービッチとの対談も載った新刊本が七つ森書館から出版されました。『花も嵐も、講釈師が語ります。』読んでいただけましたら幸いです。