本公演は、日本医科大学付属病院東洋医学科講師の三浦於菟氏らによる出演依頼によって実現したものである。

初演 
平成12年7月22日於:東京北区・滝野川会館

作:神田香織 ・(有)オフィスパパン
上演時間:50分
台本(抜粋)

ごあいさつ  三浦於菟氏
講演を終わって  三浦於菟氏

反響
 週刊朝日より
 新聞報道

第3回市民のための東洋医学講座を実行して
日本医科大学付属病院東洋医学科 講師三浦於菟
 一昨年、昨年と東洋医学科では東洋医学の啓蒙普及のために、学内で市民のための東洋医学講座を実行し好評を博してきた。
 本年度は、より参加しやすいようにと学内から飛び出し、4月28日(金)には、北区王子駅前の"北トピア〃第一研修室、5月18日(木)には足立区中央本町にある足立区庁舎ホールの2カ所で、『漢方薬の効用と副作用』と題し講演を行った。2カ所とも、午後2時から3時までは、三浦が最近話題となった漢方薬の副作用について、当科の研究成果をもとにした講演、3時10分から4時30分までは、当科非常勤講師の白石佳正が「東洋医学の得意な病気、治る病気」についての講演を行った。
 漢方薬といえども薬であり副作用は存在するが、その頻度は非常に少ない。それは副作用を少なくする工夫が凝らされているからである。また症状も軽いものが多く、中止などの処置で軽快する。専門医師によって正しく使用されれば、決して恐れるものではない。これが三浦の講演内容であった。白石講師は、漢方の適応する病気や優れた効果がある疾患について、豊富な実例と共に話された。2カ所とも、講演後には30分に及ぶ活発な質問が飛び出し、東洋医学に対する関心の高さがうかがい知れた。ただ、今回参加人員は決して多いものではなく、広報のまずさが反省させられた講演会でもあった。
 なお、本科では来る7月22日(土)1時30分から、北区滝野川会館(南北縁西ケ原駅徒歩10分)において、東洋医学と同様、日本の伝統文化である講談と漢方講演を融合した講演会の開催を予定している。これは本邦初の試みであり、市民の方により身近に東洋医学を感じ接して頂きたいという思いからである。講談師は「はだしのゲン」など数々の新作講談を手掛けた神田香織師。内容は「漢方復興物語」と題し、先達の漢方に寄せる思いを語って頂く。済生学舎も登場する予定である。
東洋医学講演と漢方講談の集い」を実行して
 付属病院東洋医学科 三浦於菟 (東邦大昭48)

 付属病院東洋医学科では、平成10年より、市民のための東洋医学講座を実行し、本医学の啓蒙普及につとめてまいりました。本年は、東洋医学と同じく日本の伝統文化である講談と講演を融合させるという、かつてない新たな試みに挑戦する事といたしました。同窓会のご後援を戴き、開催されたのは7月22日(土)。付属第一病院の東洋医学センターが、付属病院東洋医学科として再出発をした平成9年7月より、三年を経た夏の事です。そして、済生学舎出身であり、近代漢方復興の祖として称えられた和田啓十郎先生の永遠の旅立ちも、大正5年7月8日でございました。
 以下、作文風に当日の様子を書かせて戴きます。"その日は、今年の猛暑を予想させる暑い日であった。この日、北区滝野川会館に集まったのは約250名。皆、神田香織師の漢方講談に期待する人々である。

「東洋医学で病気を治す」という私の一時間の講演の後、二時四十分より講談が始まった。語るは、「漢方復興物語-和田啓十郎伝-」。始めに講談とは何かが軽く語られる。そして、和田先生一代記へと進んで行く。
「隅田川のほとり浜町界隈は、かっての色街であった。和田啓十郎の顕彰碑は、浜町、明治座の前にある。彼はどのような思いで人々の嬌声を聞いたのであろうか…。」
 古き物が、ただそれだけで捨てられていく近代日本の幕開け時代、漢方医学の良さを訴えるが、西洋医の嘲笑と罵倒の渦。患者も来ず、髪はボサボサの薄汚さ。
 幼き頃、可愛がってくれた姉の病気を治した漢方医と、同じ身なりと成り果てていた。それではと明治43年、『医界之鉄椎」を著す。それも、数社に断られ続けた後の自費出版である。鉄椎とは、暴虐を極めた秦の始皇帝に投げ付けられた世直しの鉄棒の意味。この書物が少数の心ある西洋医の目に留まり、やがて漢方医学復興の源流となっていく。時に笑わせ、時に心に染み入るような語り。和田先生の熱き思いは、人々の思いを引き出し重なって行く。そして、関係者の胸に沸き上がったのは、先生が本学の大先輩であるという誇りであった。まさに話術の芸という日本文化の素晴らしさを堪能した、約一時間の講談であった。終了後、どこまでも澄んだ夏の青空があった。〃
 漢方医学を題材にした講談は、これまでなかったという。今回の講談は、本学と関係あるものをという我々の要望によって、神田師に新しく作って戴いた。新しい講談分野の誕生である。
 創作にあたっては、本誌掲載の和田啓十郎伝(「済生学舎の人生」39・40)が役立ったとの神田師の言である。また後日、多くのマスコミからも好評に迎えられた。一誌に曰く。「不遇と反骨は講談によく似合う」と。
 東洋医学は古くて新しく、それゆえに新たな医学の地平を開く可能性を秘めております。末筆ながら、同窓会諸先生方の、今後のご指導ご鞭捷と暖かいご声援をお願いする次第でございます。まだこ要望ご質問もございましたら、お寄せ下さるようお願い申し上げます。
 (日本医科大学 同窓会報 H12.10.25)