香織の「わっ!」 わわわ〜の輪
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2003年6月25日インタビュー記事
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記事全文
香織の「ゲン」 /福岡
炎と煙の熱地獄。音と光が失われたヒロシマに降る黒い雨。万物は呼吸を止め、神は死んだ−−。中沢啓治さん原作の「はだしのゲン」が、講釈師、神田香織の創作講談で目の前に浮かび上がる。
1945年8月6日、広島に落とされた原爆の惨状を描いた中沢さんの漫画を、子どものころ怖々読んだ記憶がある。家族を失いながら、しかし強く生き抜く主人公のゲン。10万人を殺した原爆という重いテーマだけに神田さんは「背中に、亡くなった人たちの思いがのしかかってくるようです」と話す。
◇
福島県いわき市出身の神田さんは舞台女優を目指して上京したが、方言の影響もあって二代目神田山陽に入門。二つ目昇進の記念に南太平洋のサイパンへ旅行した。そこで「戦争」に出合う。海岸に放置された米戦車の残がい。玉砕した日本兵が飛び降りたバンザイクリフ。その後、沖縄、広島、長崎へも出かけ、第二次世界大戦で亡くなった310万人を超す日本人と2000万人に上るといわれるアジアの犠牲者の思いに触れる。
夢にうなされるほどで、プロになりたての身には容易に語れる内容ではない。そんな時、広島の原爆資料館の売店で見つけた「はだしのゲン」が神田さんを変えていく。次々に襲いかかる困難に歯ぎしりしながらも「負けてたまるか」と立ち向かう9歳の主人公の生への執念。戦争と原爆を力強く伝える作品を読み終えるや中沢さん宅を訪れ、「はだしのゲン」の講談化を申し入れ、快諾を得る。「人類が人類に対して二度と核兵器を使わない世界をつくり、世界から戦争をなくすために私は働こう」。神田さんは、講談では珍しい音響と照明も取り入れて全国を駆け回る。
◇
講談「はだしのゲン」が初めて披露されたのは86年。チェルノブイリ原発事故の年である。「原発事故は、形を変えた原爆だ」と危機感を神田さんが抱くのは、出身地の福島に原発が現在10基稼働していることもある。消防士の妻、リュドミーラの言葉を借りて事故の真実を伝えようとする「チェルノブイリの祈り」を03年に講談化したのも、「ゲン」同様、命の尊さに突き動かされたからだろう。
「戦前に近い空気になった気がする。やらなければ」。神田さんは庶民の怒りを代弁する講談という武器で、聞く者の想像力を刺激する。【林田英明】
〔北九州版〕
毎日新聞 2006年4月11日 |
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